2011年3月12日土曜日

11 March 2011

伊豆から戻って所用を済ませて空いた1日。
地元の公園に行って歩きまわっていた時。

だんだんと揺れが増して、公園の池に居たカモや
アオサギが一斉に飛び、池の上を旋回。
池の水面は大きく波打ち、あづま屋は歪むように揺れ
立っていられないことはないが、尋常ではない地震を感じた。
森や木々も大きく揺れた。
まるで森全体が揺さぶられるかのように。
でも、今となってみれば本音は何が起きているのか
実は理解できていなかったというのが正しいのかも知れない。

まずは実家に電話。
直後の数分は通話可能な場合が多い。
本当は控えるべきだったのかも知れない。
母親は無事だった。
すぐさま普段は使う気もしないimodeの使用を試みる。
なぜかデータが落ちてこない。
そこで気がついた。
普段は使う気もしないワンセグ。
地デジ方式の問題から地形や地域で視聴不可がある。
僕が居た公園もワンセグは厳しかった。
それでもこの場面ではあって良かったと実感した。
数人の年配のカメラマンはラジオを聞いていた。
やっぱりラジオの有効性の高さを改めて感じた。
被害の大きさに驚いた。

数人の知人に安否確認と自分が安全であることを伝える
メールを送った。
しばらく返信の無い人もあったが、日が暮れるまでに
殆どが無事であることを確認できてほっとした。

帰宅する前にガス、水道や電気が使えない事、あるいは
余震で使えなくなることを考えて買い物をしようと考えた。
地元駅に行ってみた。
鉄道各社が運転をストップしたことがわかった。
運転再開を待つ多くの人が居た。
地元駅前のスーパー、地震の影響で営業中止。
酒類などビンモノの落下有無の確認などがあったのだろう。
あるいは建物自体に被害があるかどうか。

自宅までに3軒のスーパーをまわったが、大きな店舗は
営業を中断していた。
一番自宅に近いスーパーだけが営業を再開していた。
しかし店内はアルコール臭が充満していて、その掃除を
店員さんがしている中での営業再開だったようである。

買い物を済ませて帰宅してみたが、特に倒れたものはなかった。
水道、電気を確認してガス漏れ警報機が作動していないことを確認。
ガスが使えることを確認。
近所の別のマンションは屋外階段が亀裂というより、
建物から剥離している状態だったので、地震の揺れの凄まじさを
感じていたが、幸いにも僕の棲家は無事だった。

テレビ設備のない僕が情報を集めるためには何ができるか。
既に投稿をヤメて、Google リーダーでいくつかの情報ソースを
RSSフィードしているTwitter。
大手メディアの投稿からUSTREAM で地震速報の中継を知る。
同様にradiko でラジオ放送を聞けることを確認した。
自分の身近の状況を知るには情報が多すぎて範囲が広いが、
僕には十分だった。

そして惨状が伝わるにつれ、アリエン、これ以外の言葉が見つからない。
少し状況を把握した頃、久しぶりにTwitter クライアントを使って
どんな情報が流れているか覗いてみる。
多くの人が場合によってはコレ以外に有効な情報ソースを
見つけられないでいるかも知れない。
そんな事も考えながら。
既に帰宅していた僕が考えたこと、それは可能な限り
冷静でいる努力をすること。
何人かの知人、友人と連絡が取れていないが
確認の連絡を重ねて試みないこと。
逆にもしも彼らから連絡があるとすれば、常に応えられるように。
必要な情報があると求められたら、可能な限り対処できるようにと。
それ以外は普段使わないTwitter に何かを投稿する必要もなく、
黙っていることが一番だと思った。
それが自分に出来る事だと思いました。

被災していない僕に大事なことは、その状況の中で
可能な「普通な過ごし方」を最大限する事だと思う。

被災地の皆様にはお見舞い申し上げます。
もしも僕が責任を持って出来ることがある、そう感じる場面があれば
僕なりに出来る何かをするかも知れません。
それまでは僕の僕なりの普通の生活を続けること、これが
今の僕にできることだと思います。

友人、知人の皆様へ。
まずは直後の可能なタイミングで携帯メールへでも、あるいは
通常のメール宛てでも「今自分は無事です」と、それだけでも
ばら撒きで送ることは大事だと思います。
直後であれば、あるいはそれほど時間が経過していなければ
配信遅延が発生する前に届く可能性が高いと僕は思います。
もしも災害伝言ダイアルや、掲示板への情報登録を思いつかなかった時。
かならず誰かが安否を知っている、そうあったらなと思います。

この出来事を僕は忘れないと思います。
そして、この出来事から何か学んだか考えたいと思います。

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