2011年3月17日木曜日

東日本大震災 数日が経過して

今日は朝晩2回の計画停電が予想されたが、
幸いにも夜の停電は免れたらしい。

被災地ほど勿論酷いわけはないが、生活のリズムが少し狂う。
実家の猫は地震発生直後は恐怖なのか、落ち着かなかったと
母親が笑っていた。
余震の度に目をギラギラさせてキョロキョロしていたと。
その猫も今や地震発生以前と同じようにフテブテしい。
いや、もしかしたら普通に過ごして同居人を
安心させているのかも知れない。
もっともあの大きな揺れの前に予知はしなかったらしいが。

計画停電も1日に1度だけであれば我慢できる。
2回目は確実に停電を実行するのかわかればな。
特に日がくれて時間がたって、暗い中で停電となると
停電する事がわかればタップリと準備ができる。
これはとても贅沢な事だと勿論思う。
節電が叫ばれ実践もされ、それに応えるように
なるべく1日に2回の停電をさせないように、
電力会社だって頑張っているのだから。
みんな頑張っているのだから。

待てば停電は終わるし、昨日は時間運休ではあったが、
小田急線地元駅に電車が発着し、今日は終日運行の
区間内に入った。
明日も終日地元駅に電車は発着する予定。
ありがたいことだ。

計画停電の時間帯が毎日変わることを理解していない
高齢の方も居られ、ドトールで一息ついた時だったか
「いつの間にか停電しちゃうから、なかなか外出できない」
そんな話を耳にはさんでしまった。
どうやらマンションでエレベーターを使わないといけないらしい。
停電したら階段を上り降りするから大変なんだろうな。
失礼だとは思いながら、
「新聞に何日か分か予定が掲載されたようですよ」
そう伝えると、
「そうなんですか、帰ったら見てみます。ありがとう」
見ず知らずのオトウサンが少し笑顔だったのが
ちょっとだけ嬉しかった。

実家の両親も計画停電の時間帯が変わることを
把握していなかったので、21日までの予定を
メモにして渡した。
それはそうだよな、僕だって混乱したもの。
2回目の夜間の停電が予想される場合も
もしかしたら、そう但し書きもメモした。

思うところも色々あった数日間で、腹は立てない文句は言わない
そう決めていたが、なかなか思うようにはいかないものだ。
考えてみれば3月のはじめに訃報を聞き少し泣き、そして
さぁこれからだって、その矢先に大地震だった。



写真ってのは、撮った後から撮り手がメッセージを埋め込む必要はないと思ってきた。
見てくれる人が自由に感じていいはずだと。
でも今回は、この数日間の思いを文字のメッセージにして
写真に埋め込んだ。
オリジナリティのカケラもない。
きっと誰もが思いつく言葉。

そしてこんな道端の花は普段なら見過ごすかも知れない。
それは平穏無事であっても、あるいは悩める時も。
でもふと目に飛び込んできたとき、何か感じる余裕があれば
きっと大丈夫なんだと思う。
劇的な光景に感動するとか、そんなじゃなくてもいい。

評価して頂けたことは嬉しく、そして感謝いたします。
けれども評価されたいという気持ちよりも、見てくれる人が
この写真とメッセージに何か感じるものがあったらなと。
そんな思いの1枚の写真です。
感じて頂けたなら、むしろ見て感じてくれた人こそが素敵だと思います。
僕が写真を撮るまで、あるいは撮る瞬間、メッセージを埋め込んだ時
それと同じ感覚やイメージなのかわからないけれども。

とっても小さくて、もしかすると意味がない事なのかも知れない。
けれど僕にできる事が一つできたような気がする。
写真に限らず小さな事でもできることを積み重ねること。
これからも。
それがこれから僕に必要で、できること。
多分これまでもそうだったんだと思う。
別に特別な事じゃなくて。

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