2011年4月14日木曜日

震災1ヶ月を経過して

写真は撮れる時には撮り続けてました。
しかし滅多に見られない場面を撮った時でも
あまり嬉しいとは思わなかった。

3月19日、オオタカの捕食シーンを撮りました。
捕食となれば、よほど毎日通うとかあるいは運がいいか。
そう思えば嬉しいわけで、反面自然の厳しさの象徴でもあって。
生きているものは命を犠牲にして自分を生きながらえます。
こういった動物の捕食というのは残酷でも何でもない。
僕らが食事をするのと同じでしかない、自然のヒトコマに過ぎません。

一方、同じ時期に震災を写真に収めたNewYork Times の
写真を見ていました。
これはあえて近しい友人にも伝えなかった事です。

The NewYork Times Asia Paciffic

254枚の写真は起きてしまった事実の断片の、
残酷であり、大きな絶望であり、深い哀しみであり、
その中での微かな安堵であったり、
そういった事実の断片が写し出されています。
それは被災していない僕には計り知れない事だろうし、
恐らく一生こういった場面にレンズを向けることはないだろうし。
そしてこれらの写真には、日本では報道されない場面もあり
けれどもこれが現実の一部なのだと思うのです。

なぜ写真を撮るのだろう?
実はこれがアタマの中でグルグルと渦巻いて、
それまで目を背ければ済んでいたシーンがまるで
自分が覗くファインダーの中に映り込むような錯覚まで覚えました。
それが仮に仕事だとして普通の精神状態で、このような
惨状にレンズを向け続ける事に疑問はないのだろうか?
いや反対に、この状況だからココロに背いてもシャッターを
切るのかも知れない。
仮に復興を見届けることなく、被災地から離れたとしても
一生脳裏に焼きつく場面がカメラマンにもあったのではないだろうか。

同じような光景は被災地のいろいろな現場にあるのだと思う。
捜索や復旧を続けられている自衛隊の方々も、医療現場の方々も。
被災した方々は勿論、捜索・復旧・復興にかかわる全ての方々。
今さらながら、今でも続く厳しい現実の中に居られるのでしょう。
それを僕は報道でしか知り得ません。

そんな中で平穏な日常の中で生活し、何事もない日常に
レンズを向け続けることに少し虚しさを覚えたのは事実です。
カメラを持っても、ファインダーを覗いても楽しくなかった。
自分が元気がないのを少し感じたのもこの頃でした。

しばらくカバンの中には手動発電式の懐中電灯が入っていたり、
あるいはカメラの単三電池を抜いて携帯型ランタンに入れていたり
カメラを日常に持ち歩ことも無くなっていました。

そんな中、少しテーマを決めた写真を撮りたいと思うようにもなりました。
自分が元気になるために。
それは少し離れた場所に住む友がくれたヒントかも知れません。
まだ構図も場所も具体的なイメージが浮かばないけれど。

その手始めに思ったままに写真を撮ることを始めました。
散り始めた桜。
自分なりにはイメージしたような写真が何枚か撮れました。
多分、通常モードの自分としてやっと歩き出せた感じです。
週のアタマから携帯に届く緊急地震速報にドキっとしたし、
なんだか酔っ払ったように体がフラフラする錯覚もありました。
けれどコレとも長く付き合う覚悟が必要です。
直後から自分なりに想像しつつ、けれどやっぱり甘えだったのか。
1ヶ月が過ぎてやっと慣れたというか、少し受け入れたというか。

そんな感じで1ヶ月が過ぎたのです。

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