2011年4月2日土曜日

ほどほどがいい

4月になりました。
桜もチラホラと蕾をほころばせはじめてます。
言葉を選ぶうちにブログに何を書いていいのかわからなくなり、
カメラを手にしても何を撮りたいのかわからなくなり
黙っているのが一番ストレスが溜まらない日々でした。

気温が高いこともあって、また節電が実行されていることもあって
計画停電が連日未実施となっています。
4月1日からは朝夕のラッシュ時に限っては
小田急線と千代田線の直通運転も再開されました。
真夏にどうなるか心配ではありますが、現状が続けばいいなぁ。

地元スーパーマーケットの営業時間が少し長くなりました。
18時で閉店だったのが19時に、そして20時までに。
震災前は21時だったので平日でも寄るチャンスがあったのに
今は閉店に間に合わない。
でも、震災直後の品揃えでは寄っても買うものがなかった。
品揃えは少しずつ増えたけど、供給が少ないのだろうか
震災前より若干値上がりしているものも。
商品が跡形もなかったカップラーメンの売り場も
少し商品が置かれていたのも印象的でした。
それでも食うに困る事はありません。
被災地ではないのですから。

震災から3週間。
計画停電が夜間だった時、住宅街の街灯がすっかり消え
生活ノイズがすっかり消え、それは不気味なものでした。
それでも時折走る自動車の音も、それはそれで
信号さえ灯っていないこんな時に走る人も居るんだなと。
緊急車両でもないだろうに、事前にわかっている時間帯の
僅か数時間が我慢できない人も居るんだなと興味深いものでした。
勿論、電車は普通に走るようになっていたので帰宅した人が
迎えを待っていたり、そんな事もあるでしょうけど。

夜間の計画停電が実施されて以降、街灯っていいなと思います。
帰宅時に道なりに灯る街灯を見ると今更ながら安心できる。
灯りっていいなぁ、いや明るいっていいなぁと思ったのが
とても印象的でした。

世間では「街灯だって消せばいい」だとか、あるいは
「広域避難場所の街灯も節電で消せばいい」だとか、
もしかすると節電意識の高さが災いして、何が本質かを
見失ってしまった人も居たかも知れません。
節電のキーワードだけにとらわれすぎるのもどうだろう。

一方では花見を自粛とか、あるいはイベントの自粛も相次いで
せっかく桜の見頃を迎えようとしている時に自粛という
キーワードだけが一人歩きしちゃっている感が否めません。
花見といえば酔っ払いと散乱するゴミ、毎年の恒例のように
マスコミが取り上げるドンチャン騒ぎだけがフォーカスされ、
そういう印象が災いしているのでしょうか。
桜なり花が散るまで毎日どんちゃん騒ぎする人は
そんなに多いとは思いません。
そんな花見まで自粛と行政から言われると、それもまた
興ざめで他に言う事あるんじゃねーの?と邪推したくなります。
こんな時だから、酒類やツマミを持ち込み禁止した花見イベントでもやって、
東北地方の銘柄の日本酒や東北産地の素材だけを使った
粋な露店でも出せばいいんじゃないだろうか。
東北や北関東が産地の食の素材を改めて知るチャンスを作る、
そんな発想になる日がくるといいなぁ。

節電の影響は大小を問わずに生産、製造に少なからず影響し、
それがいつまで続くのかもわからないのが現状。
先行き不透明って曖昧な気持ちだけになってしまいます。
(経営者からすれば曖昧な気持ちで済むわけもないでしょう)
そんな中で生活していくとすれば、季節を感じる気持ちにさえ
自粛なんて無粋なキーワードを押し付けるのも如何なものかと。

ほどほどに生活できる、多分今はこんな感じだと思います。
だから、ほどほどにハメを外して気分転換できる機会があっても
別に構わないと思います。
いや、ハメを外さなくても勿論いい。

こんな中で、これから長い年月こういう流れが続くとして、
それにあわせた生活を安定させていくとすれば考えなければ
ならないことも沢山ある。
何が正しいか自分で判断して、適切な相手に適切な手段で意見できること。
そのために相手の意見をきちんと聞いて理解すること。
意見交換できる相手をちゃんと作れるようにすること。
キーワードだけにとらわれない事。
自身の薄っぺらい知識で他人に不快感を感じても得るものはありません。
思うことがあれば直接相手に伝えればいい。
可能であれば対面で。
そういう自分になれるよう、そんな姿勢が大事なんだと思います。
そして喉元過ぎれば熱さ忘れる、こんな事にならないように。

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