2010年11月11日木曜日

ラティチュード

被写体の明暗の差が激しい場合に何を適正露出とするか、
カメラ本体にプログラムされている判断を見ながら考える事が多い。
例えば逆光だったり、例えば陽の光がさんさんと注ぐ
黄色の小さな花にとまった蝶を撮る場合だったり。
例えば街中の風景スナップで塀の影、地面に近い部分。
あるいは雲の表情もそうかもしれない。
何も考えないと白飛びしたりり、沈んだりする事が多い。

露出補正でいくつか同じ被写体を撮って、自分が見た景色
あるいはイメージに近い写真をヨシとする。
これが普段写真を撮る中で普通にやってる事だが、
瞬間を捉える必要がある場合はRAW で撮ってれば
「仕上げ」で誤魔化す事も出来る。
それが嫌で黒ツブレに沈んだ何かや、白飛びや
部分的に露出オーバーしている写真とか、それはソレで
自分のチカラは今はこの程度と思うようにしている。

ただ、露出補正やホワイトバランス、色温度を変えても
やっぱり表現できない事もあって、そんな時に思うのが
ラティチュードの広いセンサーがあると嬉しいなと思う。
リバーサルフィルムモードを多用するのにラティチュードが
広いセンサーや画像処理エンジンを求めるのは
理に反しているのは承知しているが。

高画素化と高感度ばかりが先行するCMOS 搭載の
高性能カメラの中で、ラティチュードの広い表現が出来るのは
やっぱりシグマのカメラだけなのかも知れない。
処理が遅い重い、連写が遅い、レンズが.....

一方でソニーのα900 が吐き出す画像にも強い魅力を感じている。
デジカメといえばニコンとキャノンというご時世、ソニーらしからぬ
素晴らしいカメラだといつも思う。
ファインダーもK-7 より一段も二段も上で、画像の表現
絵作りもソニーという印象は皆無である。
APS-Cの普及製品は電化製品の印象が強いが、α900 は
一眼レフの印象、イメージをそのままデジタルにした感じ。
ラティチュードの寛容さはわからないが、マウントを変えるなら
α900 がいいなと思う事が多い。
フルサイズだから鳥やウゴキモノはツライかも知れないが。

ラティチュードが寛容なセンサーや画像エンジンを積んだ
SD15 やDPx の画像を見ると、それはそれで肉眼で確認した
被写体と違う表現をする場合がある。
それを凄い、素晴らしい表現と感じることがあるのだが
それはそれで肉眼で見たままではないのかも知れない。
ただ、写真の黒潰れしたり白飛びした中に本来は
肉眼で見ればあった何かが隠れていて、それを表現できない時に
もうちょっと露光に寛容だったらなと思うこが多い。

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