2011年2月7日月曜日

リアリティ

死ぬまでに何回ブチ当たるのか、その前に写真ヤメルか。

時々新品も中古もレンズを買うカメラのキタムラさん。
メーリングリストで送られてきた内容に、
●「写真」ならではの「不確かさ」●
というトピックがあった。

なるほど、言い得て妙だな。
1枚の写真を複数の人が見たとき、撮り手が意図した
様子(構図や背景、その時の情感やらか)をそのまま
汲みとってもらえるのか?

実在する対象を撮っているのだから....
とはいえカメラメーカの絵作りや、撮影者の個人的な
カメラ設定(彩度、コントラスト、明暗の度合い、ホワイトバランス)で
印象が強く変わるのも写真。
これはフィルムであろうが、デジタルであろうが。
ポジフィルムでの撮影はソレとして、でもデジタルデータに
変換した瞬間から手を入れることは可能。

ふと江ノ島からの富士山の写真を整理して見ながら、
今までと違う設定で撮ったこともあって、随分と
眠たい写真撮ったかなぁと思ったりもする。
今までよりはニュートラルな設定に戻していた。

そこで何枚かを弄繰り回すと、コレが素晴らしい。
元々は光学フィルターをかませばフィルムでも表現できるが、
デジタル画像のRAW現像時に少しパラメタを弄れば
憧れの夕景だったり、真冬の澄んだ空気感なんて
本当に簡単に作ることができる。

それとは別に、弄らなくても思った色合いが
綺麗に表現できた写真も何枚かあった。
これはPicasaでは公開しないで床屋で飾ってもらう候補。
やっぱりとっておきは、とっておきにしておきたい。

っぽい写真と実際に自分が見た風景。
記憶は美化され、やっぱり変わっていく。
何がリアリティなのか、それはやっぱり実際のその瞬間だけでしかない。
ただ、見た気になる写真じゃなくて、実際に出かけたくなる写真。
それが僕の目標なのかな、実現できていないけれど。

何度考えたところでキリがない。
限りなく自問自答するしかない。
そして答えもない。
機材や解像や色合いや、お金かけてもかけた分だけ
かならず写真に返ってくるとは限らない。
確かにそうだよね、これはとても身近なカメラマンから言われたこと。
自分の思った瞬間を、なるべく思ったままに写真に撮りたい。
そして楽しく楽しい写真、素敵な場面を撮りたい。
身近な事でもなんでも。
やっぱりそれが極論なのか。

その前に少し構図とアングルを勉強し直すか。
カメラの水平水準器も少し狂った気がする。
水準器を見ながら写真撮ったのに、かなりの確率で
右下がりになっている気がする。
去年の夏に調整したのだけれど。

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